K君の答はこうでした。
【一人づつ線香花火を渡されたが、最後の勇一の分が足りなくてその場のふんい気がいっしゅん固まってしまったこと】(字数制限:45字以内)
字数はオーバーですがポイントは押さえている。
また日頃から「記述は最初多めに下書きしていいよ」と話しています。
あれっ、
彼の質問はこのことかな?
別に答えの内容がどうであるか、
文末表現があっているとか、合っていないではないのです。
問題本文の表記では
「一人ひとりに線香花火を渡して…」とあります。
そこで彼は字数節約モードを発動して「一人づつ」としたのです。
彼の工夫と言葉のセンスいいですね。
ただ「一人づつ」は気持ちはとってもわかりますが、
『現代仮名遣い』では「ずつ」が正しい。
彼もそれを確認したかった。でもとりあえず先生の判断は?
どちらかわからないので「づつ」にした。
「つづく」などを連想したのかもしれません。
Kくん、ここは「ずつ」ね。
現代仮名遣いの説明をして納得はしても、どうも100パーセントの納得ではありません。そこで、これは言葉表現ニュアンスの勉強にもなる、ともう少し話をしようと思いました。
「ただ、例外もあるよ、」
昔の言葉使い(書き言葉)である「旧仮名遣い」で作者が書いていたらその通り抜き出してね。変えなくていいんだよ。
まあ、K君の場合は抜き出しではなく自分の言葉なのですが。
旧仮名といっても今でも使っている人がいるんだよ。
短歌や俳句を旧仮名遣いで書く人たち。
ここで何人か私とK君のやりとりを聞いていた子が質問。
「読みにくいし、わざわざ使う意味あるの?」
「うん、確かにルールを知らないと読みにくいと思うよね。」
前に宮沢賢治の文にも旧仮名遣いがあったことを思い出したのでしょう。
あのさ、お料理に味ってあるでしょ?
・・・味、たとえば「づつ」を使った俳句があるのだけれど
ゆびさして寒星一つづつ生かす 上田五千石
ゆびさして寒星一つずつ生かす
二つを比べてみて、
どちらがいいとか悪いかでなく「味わい」の違いがないだろうか、
たずねてみました。
このようなことも先に行くと、
語感といって、将来しっかり伝わる国語力が持てるようになると私は考えます。
つまり、この俳句だったら俳句。
短歌だったら短歌。
その鑑賞が豊かになる。
物語文であれば物語文の読解が深まる。
他人に説明するときには、助詞など細かいところに差が出るものです。
ちょっとしたことの積み上げが、大事です。
すると、俳句の意味がよく分からないという子
少し難しかったかも知れませんが、背伸びも学習には大いに必要です。
「五千石って江戸時代のひと?」
ーーー ごせんごくさん
「上田五千石は俳号ね。分かりやすくいうと俳句用ペンネームでしょう。
昭和の人ね。
高校受験でもこの人の作品見かけた事あるよ
こんな俳句、
渡り鳥みるみるわれの小さくなり
イメージ湧くでしょう?」
この句、はじめ視点は作者の側にあって、飛んで行く渡り鳥の勇壮さを見ている。
ところがいつの間にか鳥の視点から人間世界が見下ろされている。
みるみるうちに作者のいる世界が遠のいて行く。小さく豆粒のようになって行く。
それだけ渡り鳥の生きている世界・自然は広大で、果てしない。
そしてまた、作者の側から遠ざかる鳥たちの姿を、いつまでもいとおしむかのように見送ってしまう気持ちまで、共感してしまいそう。
そんなイメージもてないかな。
もちろん作品に即しながらさらに自分なりに鑑賞をしてもいいですよ。
K君も他の子も「わかるな」って顔つきをしてくれました。
念のため季語は「渡り鳥」で秋。
読み方は・・・わたりどりみるみるわれのちさくなり、です。
さて、難しかった俳句の鑑賞、「指さしては・・・」は次回で。
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