こんにちは!スタッフブログ土曜担当の大場です。
早いもので来週で前期が終了し、いよいよ夏期講習に突入です!🎐
夏期講習は今年も5日間×3クールの15日間に凝縮されています。
中学受験生は全日程朝から夕方までのスケジュールになります。
仲間も先生も一緒に頑張りますので、体調を崩す事なく最後までやり切りましょう!
🌟 🌟 🌟
さて、このところ何回かに分けてベテルギウスの爆発についてブログを書いてきました。
前回のブログでは、ベテルギウスが爆発したらどうなるの!?
という爆発後の運命についてお話ししましたね。
爆発後数時間で、満月の100倍もの明るさの青い光を見る事ができるはずです✨
あれから3週間が経過しようとしておりますが、残念ながらその光は見られません。
今か今かと数年前から楽しみに待っているのですが…😢
その瞬間が来たら、きっと世界的な大ニュースになって報道もベテルギウス一色になるでしょうね!
実は今から950年前にも、人類はこの世紀の天体ショーを経験しているのです!
それが西暦1054年に観察された、かに星雲の元となる超新星爆発でした。
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1054年と言えば、日本では平安時代のちょうど真ん中くらい、
ひらがな・カタカナが発明されて国風文化が幕を開けた頃のお話しです。
この頃には、『源氏物語』や『枕草子』など、
平安時代と聞いて連想されるような和歌・日記・物語文学が盛んに生み出されていました。
その少し後の時代になるのですが、
藤原定家という歌人が残した『明月記』という日記に、
この1054年の超新星爆発についての記述が残されているのです!
藤原定家といえば『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の選者として有名ですよね。
ちなみにそのパパは藤原俊成というこれも平安和歌界の超大物。
さて、その定家が64歳の時に、客星(普段見慣れない星)を見たと記録しています。
この時に定家が見た客星は単なる彗星だったようですが、
その日の日記の末尾に、これまでに記録のある客星のリストがまとめられており、
その中に1054年の超新星爆発の記述があるのです。
記述にはその客星が見られた時期・時刻・方角などが記されており、
木星のように明るく輝いていた、と残されています。
1054年には定家は生まれていないので、彼は超新星爆発を実際に目にはしていないのですが、
見慣れない光を見たその当時の人々はさぞ驚いたことでしょうね!
当時は天体の動きと吉兆を結び付けており、客星は良くない事の前触れと考えられていたようです。
確かに今のように科学技術が発達していない時代、
急に空に見た事のない光が現れたらパニックになりそうです!
当時には知る由もありませんでしたが、この光が実は超新星爆発による光だった訳ですね。
その爆発の残骸がかに星雲と呼ばれる超新星残骸で、今でも観測する事が可能です。
この超新星爆発は世界中で見られていたはずですが、
こうして詳しい記録が残っているのはこの『明月記』と中国の文献しかなく、
後は簡単な記録がアラビア語の文献にあるのみだそうです。
(アメリカ・インディアンの壁画がこの爆発を表しているのでは、という説も)
天文学的にも今から1000年近く前のデータが残っているなんて大変な発見でしたし、
当時の日本人が星をどのように捉えていたかが分かるとっても貴重な資料ですよね!
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ちなみにこの1054年の超新星爆発はおよそ7000光年先から届いた光で、
地球からかなり遠かったのでその光もそれほどの明るさではなかったのですが、
ベテルギウスは地球から約640光年と、宇宙規模で考えると割合近くの星です。
(といっても光の速さで640年かかる距離なんて想像もつきませんが…)
つまり1054年に観察された光より遥かに明るい光が届くはず!
更に、人類が果たしていつまで存在していられるかは分かりませんが、
宇宙の時間感覚的にも、超新星爆発がこれほど近くで起きることもそう滅多にありません。
ベテルギウスの超新星爆発は、人類が経験する最大の天変地異になりそうですね!
ぜひその瞬間に居合わせて、この目で見てみたいものです…。
🌟 🌟 🌟
さて、気温が30度を超える日も多くなって参りました。
熱中症にはくれぐれもお気をつけて、素敵な週末をお過ごしください!
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